正月旅行:鳴門の渦潮で見つけたドイツの歴史

四国への道中立ち寄った渦の道

2025年正月、香川県へ旅行にいってきました。

わが家はだいたい、正月、お盆と混み合う時期にしか、まとまった休みはとれません。

途中、鳴門市にある観光スポット、大鳴門橋遊歩道「渦の道」に立ち寄りました。渦潮を間近で見ることができるスポットとして、多くの観光客で賑わっていました。

鳴門の渦潮:大鳴門橋遊歩道

「渦の道」は、大鳴門橋の下に設置された遊歩道で、渦潮の真上まで歩いていけるユニークな施設です。公式サイトはこちら:渦の道

遊歩道からは、渦潮や潮の流れを間近に観察できます。海と風の音がゴーゴーと響き、足元で巻き上がる渦を見ていると、吸い込まれるような感覚に陥ります。

観光船も渦の近くに停泊し、訪れた人々に潮流や渦を間近で見せていました。

この橋の下の部分が遊歩道になっていて、渦の真上まで歩けます。けっこう長い道です。

 

観光船がしばらくここに止まっていました。

 

渦の真上まで歩いて行けます。潮の流れが早くてダイナミック。おそろしくもある。

 

鳴門で見つけたドイツとのつながり

渦の道を歩いていると、鳴門市とドイツ人捕虜収容所の歴史について知る機会がありました。第一次世界大戦中、鳴門市にはドイツ人捕虜の収容所が設置されていたのです。

「捕虜」「収容所」と聞くと厳しい環境を想像しますが、当時の鳴門市の収容所では比較的自由な生活が許されていたようです。ドイツ人捕虜たちは、音楽会や演劇、学習会、スポーツなどの文化活動に積極的に取り組んでいました。地元の人々からは「ドイツさん」と親しまれ、友好的な関係が築かれていたことが印象的です。

 

 

お互い尊重しあった日本人とドイツ人

「ドイツさん」と地元の人々から呼ばれていたというエピソードから、日本人はたとえ捕虜でもドイツ人に丁寧に接していたのだろうと想像しました。そしてドイツ人もまた(そこにどのような思いがあったかはわかりませんが)、日本人の心を受けとって、友好的に接していたのでしょうね。

ドイツ人と日本人は似ていると、聞いたこともありますが、正直、私はあまり似ているとは思いません・・・。ただ、ドイツと日本は似ているような気もします。特にいまの国内状況は、ドイツが良い(悪い?)お手本のような気もしますが、ここでは深追いしないでおきます。

 

広島・似島:日本のバウムクーヘン発祥地

鳴門市の収容所ができたころと同時期に、広島県の似島(にのしま)にもドイツ人捕虜収容所がつくられました。そこに収容されていたドイツ人 カール・ユーハイムさんによって、初めて日本人がバウムクーヘンに出会ったということをご存知でしょうか。つまり、似島は日本のバウムクーヘン発祥の地なのです。

似島の収容所でも、同じようにドイツ人たちはいろいろな文化活動を行っていたと読んだことがあります。バウムクーヘンやソーセージを日本人に伝え、それらはしっかり日本に根付いています。鳴門市の収容所と同様、似島でも、戦争中ゆえ厳しい対立はあったにせよ、ドイツ人の方々との交流を大切にしたという歴史は、ドイツ語好きとしては嬉しいことです。

 

現代の学習環境とドイツ語

今回の旅では、思いがけない形でドイツの歴史に触れることができました。もし当時の日本に住んでいたら、ドイツ語を必死に学んでいたかもしれません。インターネットが普及した現代では、生きたドイツ語に触れる機会が格段に増えました。ドイツ語の教材やオンラインがある今、学習環境の進化に感謝しています。

30年前、友人から送られてきたドイツ語の雑誌を読むだけで新鮮だった時代を思うと、今の環境は恵まれていると感じます。あとは、自分のやる気を継続させることがミソです。

 

もしこれから鳴門や似島を訪れる予定がある方は、ぜひ日本とドイツの歴史的背景にも注目してみてください。

旅先での思いがけないドイツとの出会いが、よりドイツ語学習に刺激を与えてくれるでしょう!

 

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